ただ二人の関係性を抱きしめ合えるなら

10年くらい前のよく晴れた冬の日、友達と山梨に向かうクルマの中で、「結婚式の前夜に恋人と聴きたい曲」というテーマでイチオシの音楽をかけ合う遊びをしたことがある。

サブスクの音楽配信サービスなんてなかった当時、僕たちはそれぞれのiPodをカーステレオにつないで、下手クソなラジオDJよろしく銀杏BOYZACIDMANをかけ、とうとうとその良さを語ったのだった。「これは恋人じゃなくて友達と聴きたい」とか、「別れた元カノとだったらこれを聴きたかった」とか。

小さなレンタカーはナイーブで無知な僕たちを乗せて、紅葉が少しだけ残った中央道をすいすい進んだ。  

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先日結婚式を挙げた。素晴らしい式をさせていただいたことへの感謝の気持ちの一方で、結婚という制度への違和感は今も残っている。

それは、愛するパートナーとの豊かで繊細な関係性が夫婦という記号化された関係性に回収されてしまうことへの忌避感であり、

家族でありたいと願う人たちを法が線引して一部の人たちを家族だと認めないことへの罪の意識でもある。(差別の片棒を担いでいるように思えてくる。まるで自分が、名誉白人になって喜んでいるアパルトヘイト時代の日本人にでもなったかのように。)

それでもいろいろな人に祝福してもらうのはとても嬉しかったし、この複雑な感情をよく理解してくれる妻のことを尊敬している。結婚かくあるべし・家族かくあるべしみたいな全ての規範に噛み付いたり愛想笑いしたりしながら、周囲や二人のあいだの関係性を模索していきたい。婚姻届はさしずめそんな戦友同士の血判状だったのかもしれない。

姓はじゃんけん30本勝負で決めて(妻の姓になった)、ウェディングケーキは妻が大きいスプーンで食べた。婚姻届は色々あって九州の離島で出した(本当に色々あったのだ)。 式場でソウルダンスを踊った。80年代のソウルミュージックと奥さんのパンツドレスが最高にマッチしてた。  

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10年前の山梨に向かうレンタカーで、誰かがYUKIの曲をかけたのを覚えている。僕たちはよく晴れた冬の中央道を疾走しながら声を張り上げて歌った。「間違いだらけと判っていても 二人は進んでいく」。

違和感も嬉しさも清濁併せ呑み、ときに声を上げ、ときに藪をかきわけて、ただ二人の関係性を抱きしめ合えるなら、死がふたりを分かつまで一緒にいたいと思うようになった。

間違ったり後悔したりするのもきっと楽しいだろう。